2015年8月21日金曜日

アンティーク バカラ ローハン BACCARAT ROHAN

2017年5月10日更新

このモデル、有名過ぎて紹介の必要もないかもしれません。普遍的な美しさのアラベスクパターンが施されたバカラを代表する85年以上製造され続けている人気モデルです。ヴィンテージ品のオファーも多い代わりに人気も高いというアイテムです。

アンティーク、ヴィンテージのローハンは現行品と異なり、エッチングの彫りが深いのが特徴で特に珍重されています。

バカラの日本ではローハンと呼ばれているのでローハンで通しますが、「ロアン」という表記が最もフランス語に近くなります。


やっと入手したローハン全サイズ。写真にはシャンパンクープが足りませんが。。。
©Galleria Kajorica

在庫状況や個々のコンディションはオークションページをご覧下さい。

左からリキュール用デキャンタ、リキュールグラス。デザート(ポートワイン)グラス。白ワイングラス。赤ワイングラス。ウォーターゴブレット。ピッチャー。

一番左のリキュール用デキャンタ。カメラのレンズの歪みで太く見えますが普通のプロポーションです。

ローハンシリーズのデキャンタは時間とともにデザインが変化しています。
1931年リリースされた当時のデキャンタは以下のカタログのような形でセットでした。グラスを逆さまにした形状とデザイナーは考えたのだとすぐにわかります。シャトーブリアンやグービューも同様にグラスに似た形がそのままデキャンタになっています。
その後このスリムな形のデキャンタになり、(この部分は確かな出典があるわけではないのですが色々な資料 や今まで見てきたセットのマークの有無などから、の推測です)更にその後シャトーブリアンのデキャンタがローハンセットのデキャンタとなり、現行品はシャトーブリアンのデキャンタの形状でクビにエッチングの入らないものになっています。





ローハンシリーズのリリースは1931年になります。
日本のあちこちのサイトで1855年の万博でこのモデルが大賞を受賞したとまことしやかに書かれていますが、これは日本だけでの通説で信憑性は極めて疑わしいと思われます。何故なら1855年の時点ではバカラはまだこの工法を使用していませんでした。またJean- Louis Curtis著のBaccarat (1996/英語版)によると1855年の万博で大賞を受賞したバカラの複数の製品で、特に主力作は5m近い高さのキャンドルスタンドだったという記述があり、やはり2014年パリ・ペティ・パレでのバカラ創立250周年記念展覧会のカタログ(仏語版)によると大賞を受賞したのは5m近い高さのキャンドルスタンドだとあります。このモデルはプロパー製品としては1931年からカタログに掲載されていて、2014年Rizzoli出版の「Baccrat •250年の歴史」や現行のバカラ・アメリカやバカラ・イタリア(伊語版)のバカラ公式ウェブサイトでもこのローハンは1931年リリースとあります。

© Rakow Library
ちなみにこちらが1955年のパリ万博の4.85mの高さの大シャンデリア







名前の由来
ブルターニュ地方に人口1600人程度のロアン(ローハン)と名のつく小さな町もあります。が、バカラのモデル名はアルクール=ノルマンディーのアルクール公爵、ポリニャック=マリーアントワネットのお気に入りポリニャック伯爵などと貴族の名がついているモデルが多いので、これも町名が付けられたというよりは、ブルターニュ地方出身の由緒ある上級貴族ロアン(=Rohan=日本風通称ローハン)家に由来していると考えた方が良いのではないかと思います。
詳細は文末(アイテム写真の下)をごらんください。


在庫状況や個々のコンディションはオークションページをご覧下さい。



このエッチングはヴェネツィアン・エッチング(別名ケスラー工法)と呼ばれる工法で、1854〜1855年にケスラーが開発した工法を使用していて、その工法をバカラが1864年に獲得したことで、以降のバカラの製造方法に大きな転換をもたらすことになりました。このローハンはバカラのケスラー工法エッチングの製品の代表作といっていいでしょう。

©Galleria Kajorica
左が新しいバカラマーク付きロゴ無し(1970-1889年)右が古いバカラマーク付き(1936-1969年)
新しい方がエッチングが浅くなりますが現行品程はチープではありません。
古いものは堀りの「深さ」だけでなくエッチングの「線の幅」が広くなります。


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”似てるけど違うもの”  
(新設:よく似ている品の違いの解説コーナーです)

シャンパンクープ、左側がシャトーブリアン。右側がローハンのシャンパンクープです。
単に高さが15ミリ異なるだけでなく、シャトーブリアンのクープグラスは縁近くで曲線が翻って口がやや開いていますがローハンはそのまま単一曲線で上に立ち上がります。



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名前の由来
ブルターニュ地方に人口1600人程度のロアンと名のつく小さな町もあります。が、バカラのモデル名はアルクール=ノルマンディーのアルクール公爵、ポリニャック=マリーアントワネットのお気に入りポリニャック伯爵などと貴族の名がついているモデルが多いので、これも町名が付けられたというよりは、ブルターニュ地方出身の由緒ある上級貴族ロアン(=Rohan=ローハン)家に由来していると考えた方が良いのではないかと思います。勿論、町のローハンは11世紀ポルオエト子爵時代のロアン家の発祥の地。今でも町の旗章とロアン家 の家紋が同じで 町とロハン一族は切っても切り離せませんが。

ロアン家は出身のブルターニュ地方のみに留まらず、歴史上ではドイツ国境近い重要な都市ストラスブールや赤ワインの代名詞となるくらいワインの産地で有名なフランス南部大西洋側のボルドーの司教にも任命されている名門貴族で、フランスでもっとも権力を持つ一族の一つだったと言われています。

因みに有名なマリー•アントワネット「首飾り事件」で 現在の貨幣価値にして約30億円をラ•モット伯爵夫人から騙し取れれるという詐欺にあったのも当時の宮廷司祭長であったロアン一族の一人ルイ・ド・ロアン枢機卿です。


「首飾り事件」の首飾り。全てダイヤモンド。


ロアン(Rohan=ローハン)家 本家の家紋



様々なロアン一族の家紋 本家の赤地に黄色の菱形が必ず使われています。


地元ブルターニュにはROHAN=ロアンの名のつくお城2ケ所あります。

一つはジョスラン城 (château de Josselin) 別名ロアン城とも呼ばれていてブルターニュのお城の中でも代表的なお城です。1008 年  ロアン家の子爵ゲテノック(Guéthénoc,)とレンヌの伯爵 ギュミニ(Guéménéの命令で建設され、1168年にイギリス軍により破壊され13世紀に再建され、14世紀に現存の4つの塔はマルグリット・ロアンの夫オリヴィエ・ド・クリッソンによって増設され、1488年に再度破壊され,1490年と1519 年に再び建設されるという建設と破壊の歴史を繰り返して来た、ブルターニュが1532年の合併条約でフランスに組み入れられる前からの古城です。

ジョザン城、別名ロアン城
パリのモンパルナス駅からTGVでレンヌ(Rennes)まで行き乗り換え
ジョザン(Josselin)までは合計で約3時間45分で到着します。

もう一つはポンティヴィ(Pontivy)のロアン城。
ポンティヴィ、ブルターニュ中央部の重要な運河であるブラヴェ運河、ナント・ア・ブレスト運河の交差地点にあり戦略的な立地です。

現在のポンティヴィのロアン(ROHAN)城は、1479年から1485年にかけてジャン2世・ド・ロアンが建設させたもの。ブルターニュの上級貴族である代々のロアン子爵たちはユグノー(プロテスタントの一派)であり、彼らの礼拝堂は改宗したブルトン人たちの数少ないよりどころであったといいます。
ポンティヴィのロアン城  Photo© PHOVOIR
ジョザン(Josselin)からポンティヴィ (Pontivy)までは約35km。バスで30分。

 ストラスブールのロアン宮          Photo©Claude Truong Ngo
ロアン家監督時代の1728-1741年に建設されました。
現在は 装飾美術館、美術館,考古学博物館 3つのミュージアムになっています。
ストラスブールへはパリ東駅からTGVで約2時間20分

ボルドーのロアン宮      Photo©Christophe.Finot

両親ともロアン一族の血を引く、 南フランス、ボルドーの監督フェルディナン・マキシミリエム・メリアデック・デ・ロアン(Ferdinando Massimiliano Mériadec Rohan) によって1771年に建設されたボルドーのローハン宮。
現在はボルドーの市庁舎になっています。
ボルドーへはパリのモンパルナス駅からTGVで約3時間20分


パリのロアン邸宅 Hotel de Rohan  PhotoArchives nationales (France)
ロアン家の所謂パリの上屋敷。1700年にロアン家が購入したスビーズ邸(1371年建設)の隣に建設されたました。ロアン邸宅は1705年着工、8000平方メートルの敷地に建っていて代々のロアン一族が居住。1808年にはナポレオンの所有物となり、現在では隣接するスビーズ邸と併せてロアン邸宅は国立公文書館となっていて、Hotel de Rohan-Strasbourgが通称。また、一般的に国立公文書館としては古い方のスビーズ邸宅(Hotel de Soubise)の名で呼ばれることが多い様です。
公文書ミュージアムにもなっていて貴重な資料や優雅なロココ調のインテリアが見られるガイドツアーは毎月第一土曜です。ご興味のある方はこちらのリンクで詳細をどうぞ。